2026年7月26日の主日礼拝説教動画、ショート動画、説教原稿をアップしました

□2026-07-26 喜多見チャペル 主日礼拝
□聖書箇所 マルコの福音書 15:16-24
□説教題 「通りかかったクレネ人シモンに」
□説教者 山田誠路牧師

導入

前回は、ローマ総督ポンテオ・ピラトのもとで、イエス様が裁判を受ける場面でした。ピラトは、この訴えが事実に基づくものではなく、祭司長たちのねたみから出ていることを見抜いていました。また、祭りのたびごとに、囚人のうちから人々が願う一人を釈放するという慣習を利用して、イエス様を釈放しようとしました。

しかし結局、ユダヤ教指導者たちに扇動された群衆が叫ぶ「十字架につけろ」という声の前に屈し、暴動を恐れて保身に走りました。不当な裁判であることを知りながら、イエス様の身柄を十字架につけるために引き渡してしまったのです。

そして、ここからいよいよ十字架刑の執行へと進んでいきます。イエス様はゴルゴタへと連れて行かれます。しかし、その途中で、一人の男が突然、この出来事の中に引き込まれます。

クレネ人シモンです。

彼は、その朝、自分がイエス・キリストの十字架を担ぐことになるなどとは、夢にも思っていなかったでしょう。ただ、そこを通りかかった。それだけでした。

けれども、その「通りかかった」ことによって、彼の人生は、イエス様の十字架と深く結びつくことになったのです。

今日は、このクレネ人シモンに心を留めながら、三つのことを見ていきたいと思います。

Ⅰ イエス様が受けられたもの
Ⅱ イエス様が受けられなかったもの
Ⅲ 通りかかったクレネ人シモン

本論

Ⅰ イエス様が受けられたもの

マルコの福音書では、イエス様が十字架につけられていく場面は、驚くほど簡潔に、淡々と綴られています。

しかし、実際に十字架につけられる前から、イエス様は激しい肉体的苦痛と、徹底した侮辱をお受けになりました。

むち打ち

まず、むち打ちです。

これは先週のテキストの最後、15節に書かれています。

「それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」

ローマの十字架刑では、処刑に先立って激しいむち打ちが行われることがありました。

マルコは、そのむちがどのようなものであったのか、何回打たれたのかということを何も説明していません。ただ一言、「むちで打ってから」と書くだけです。

しかし、私たちは「十字架、十字架」と言いますけれども、イエス様のお苦しみは、釘が手足に打ち込まれたところから突然始まったのではありません。

すでに、このむち打ちから、十字架への苦しみは始まっていたのです。

王を嘲る三つの道具

そして兵士たちは、イエス様を肉体的に痛めつけるだけでは満足しませんでした。

今度は、イエス様を「王」に仕立て上げて嘲り始めます。

そこに三つのものが登場します。

紫の衣、茨の冠、そして葦の棒です。

まず、紫の衣。

紫は古代世界では非常に高価な色でした。紫の染料を作るためには大量の貝が必要で、王や皇帝、高い身分と権威を象徴する色でもありました。

兵士たちは、そのような王の衣をまねて、イエス様に紫の衣を着せました。

もちろん、敬意を表するためではありません。

「おまえはユダヤ人の王なんだって? それなら王様らしい服を着せてやろうじゃないか。」

そういう嘲りです。

次に、茨の冠です。

王や勝利者が冠をかぶる。そのパロディーとして、兵士たちはわざわざ茨を編んで冠を作り、それをイエス様の頭にかぶせました。

そして三つ目が、葦の棒です。

これは、王が権威のしるしとして手にする笏の代わりです。立派な笏ではなく、その辺にある葦の棒を使って王様に仕立て上げる。そして、その棒でイエス様の頭を叩いたのです。

紫の衣。茨の冠。葦の棒。

これは、いわば「王の戴冠式」の残酷なパロディーです。

18節には、

「『ユダヤ人の王様、万歳』と叫んで敬礼した。」

19節には、

「ひざまずいて拝んだ。」

と書かれています。

兵士たちは、これから十字架につけられる一人の囚人を相手に、「王様ごっこ」をして、思う存分笑いものにしたのです。

しかし、ここには恐ろしい皮肉があります。

彼らが嘲っているこの方こそ、本当に王の王、主の主である方なのです。

彼らは偽物の王としてイエス様を笑いました。しかし、笑われている方こそ、本当の王であったのです。

そして、そのまことの王は、この辱めを黙って忍ばれました。

さらに兵士たちは、イエス様に唾を吐きかけました。

人に唾を吐きかけるというのは、説明するまでもなく、非常に強い侮辱を表す行為です。

こうしてイエス様は、肉体を傷つけられただけではありません。

人としての尊厳を踏みにじられました。

嘲られ、笑われ、叩かれ、唾をかけられました。

苦難のしもべ

ここで思い起こしたいのが、先ほど交読文でご一緒に読みましたイザヤ書50章です。

特に6節です。

「打つ者に背中を任せ、ひげを抜く者に頬を任せ、侮辱されても、唾をかけられても、顔を隠さなかった。」

ここに描かれている苦難のしもべの姿は、十字架を前にしたイエス様のお姿と重なって見えます。

イザヤ書では、42章以降、四回にわたって「しもべの歌」と呼ばれる特徴的な箇所が出てきます。50章はその三つ目に当たり、やがて53章の、

「主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」

という言葉へと流れ込んでいきます。

私たちは福音書を読みながら、イエス様を鞭打ったローマ兵や、イエス様を十字架へ追いやった人々を見て、「なんとひどい人たちだ」と思います。

もちろん、その行為はひどいものです。

しかし、そこで私たちが忘れてはいけないことがあります。

十字架は、単に「悪い人たちが、罪のないイエス様をひどい目に遭わせた」という話ではありません。

イエス様が負ってくださったのは、私たちの罪です。

神に背き、人を傷つけ、自分を中心にして生きようとする私たちの罪です。

ですから、十字架を見つめるとき、私たちはローマ兵たちを遠くから指差しているだけではいられません。

この鞭も、この侮辱も、この十字架も、私の罪と無関係ではないのです。いえ、私たちの罪そのものなのです。それにもかかわらず、イエス様はそれを拒まれませんでした。

 イエス様が受けられなかったもの

ところが、これほど受けるに値しないものを黙ってお受けになったイエス様が、ただ一つ、差し出されても受け取らなかったものが記されています。

没薬を混ぜたぶどう酒

23節です。

「彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」

この飲み物は、これから処刑される者の感覚を鈍らせ、苦痛をいくらか和らげるためのものだったと一般に理解されています。

しかし、イエス様はそれをお受けになりませんでした。

侮辱は拒まれなかった。

鞭も拒まれなかった。

茨の冠も、唾も拒まれなかった。

ところが、苦痛を和らげるために差し出されたものは、お受けにならなかった。

どうしてでしょうか。

父が差し出す杯

私はここに、ゲッセマネの園でのイエス様の祈りとのつながりを見ることができると思います。

イエス様はゲッセマネで、

「どうか、この杯をわたしから取り去ってください。」

と祈られました。

しかし最後には、

「しかし、わたしが望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」

と祈られました。

イエス様は、御父から与えられた杯を最後まで受けようと心を定めておられたのです。

ですから私は、没薬を混ぜたぶどう酒を拒まれたそのお姿にも、御父から与えられた杯を、最後までご自分のものとして受けようとされる主のお姿を見るのです。

もちろん、私たちの救いを確かなものにしたのは、「没薬を飲まなかった」という一つの行為ではありません。

私たちを救うのは、イエス・キリストが十字架の上で私たちの罪を負い、最後まで御父のみこころに従って、その命をお献げになったことです。

次の次の回で扱う予定ですが、34節で、イエス様は、

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」

と叫ばれます。

主は、最後までこの苦しみを、ご自分のものとしてお受けになりました。

私たちの罪のために。

私たちの救いのために。

 通りかかったクレネ人シモン

クレネ人シモンとは

そして、ここで一人の人物が登場します。

21節です。

「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンに、イエスの十字架を無理やり背負わせた。」

このシモンという人は、いったい何者だったのでしょうか。

クレネというのは、地中海に面した北アフリカの都市で、現在の国名で言えばリビアにあります。当時、そこにはかなり大きなディアスポラ・ユダヤ人の共同体がありました。

シモンは、おそらく過越の祭りの時期にエルサレムを訪れていたのでしょう。

興味深いのは、マルコがわざわざ、「アレクサンドロとルフォスの父」と紹介していることです。

私たちには、アレクサンドロと言われても、ルフォスと言われても、誰だか分かりません。

ところが、マルコがわざわざ二人の名前を記しているということは、おそらくマルコの福音書を最初に読んだ人たちにとって、この二人が何らかの形で知られた人物だったのでしょう。

彼らが教会の一員となっていた可能性も十分考えられます。

もしそうだとすれば、なおさら興味深いことです。

父シモンが、ある日突然、イエス様の十字架を担がされた。

その出来事が、やがて家族にまで何らかの影響を及ぼしたのかもしれません。

ただし、そこから先は聖書には書かれていません。

私たちは想像しすぎないようにしたいと思います。

聖書がはっきり語っているのは、一つです。

シモンは、その日、そこを「通りかかった」のです。

イエス様の十字架を代わりに背負った?

十字架刑の処刑場は、ゴルゴタと呼ばれる場所でした。

ローマの十字架刑では、死刑囚が処刑場まで十字架の横木を担がされることがありました。

それ自体が、一種の見せしめでした。

「ローマに逆らえば、こうなるぞ。」

そのことを人々の目に焼き付けるためです。

しかし、この時のイエス様は、前の晩から裁判に引き回され、暴力を振るわれ、この日はさらに激しいむち打ちを受けていました。

マルコは「イエス様がもう歩けなかったから」とは書いていません。

しかし、何らかの理由で兵士たちは、そこを通りかかったシモンに十字架を背負わせました。

ローマ兵から強制されたシモンに、拒否する自由はほとんどなかったでしょう。

今の今まで、そんなつもりも予定も何もなかった。

ただ、そこを通りかかった。

それだけなのに、突然、

「お前だ。これを担げ。」

と言われたのです。

そしてシモンは、イエス様がこれから十字架につけられる、その木を自分の肩に担ぐことになりました。

これは、いったい何を意味するのでしょうか。

ここでは、はっきりさせておかなければならないことがあります。

「シモンがイエス様の代わりに十字架を担いだ」と言うとき、それは、シモンがイエス様の十字架の苦しみを一部分でも肩代わりした、という意味ではありません。

ここを取り違えてはいけません。

イエス様が私たち罪人の罪をすべてご自分の身に負って、十字架の上でお受けになった苦しみ。

そこには、人間はまったく参与することができません。

私たちが、

「イエス様、あなたのお苦しみの足りないところを、私の苦しみで補います。」

と言うことはできません。

そもそも、イエス様のお苦しみに足りないところなどありません。

私たちの救いのために必要なことは、イエス様がすべて成し遂げてくださいました。

それでは、シモンが十字架を担いだことには何の意味もないのでしょうか。

いいえ。

大きな意味があります。

シモンは、その木を自分の肩で担ぎました。

ズシリと重さを感じたでしょう。

ゴツゴツとした木の肌触りを、自分の肩で感じたでしょう。

しかし、その十字架は、「シモン自身が自分を救うために負った十字架」ではありません。

それは、これからイエス様がつけられる十字架です。

言い換えるならば、シモンがその肩で感じた十字架の重さは、自分がキリストの苦しみを補うための重さではなく、

「この方が、この十字架にかかってくださる。」

ということを、自分の身体で知るための重さだったのではないでしょうか。

私たちが自分の十字架を負ってイエス様に従うということも、同じです。

自分の苦しみによって、イエス様の十字架に何かを付け加えるのではありません。

そうではなく、

「この私のために、主はすでに十字架を負ってくださった。」

そのことを、人生の中で少しずつ、意図せず背負わされたものを通して知っていくのです。

「たまたま」なのか

今日、私は何度か、「シモンはたまたまそこを通りかかった」と言いました。

けれども、よく聖書を読んでみると、聖書には「たまたま」とは書かれていません。

ただ、「通りかかった。」と書いてあります。

ただ言えることは、この十字架の横木はシモンが自分で選んでかついだのではないということです。自分では、重荷、ババを引いてしまったとしか思えないことが実は祝福への接点になることがあるのです。

この接点は多くの場合、自分の計画外のところからもたらされます。このクレネ人シモンにとって、この無理やり背負わされた十字架がどうして祝福なのでしょう。

それは、「アレクサンドロとルフォスの父」という表現が物語っています。なぜ、わざわざ、この二人の名前が、この大切な十字架の場面で綴られているのでしょうか。それは、この二人が、少なくともマルコ福音書の読者たちに知られていたということがわかります。そして、恐らく、この二人は、初代教会のメンバーの一員だったのだろうとの推測が成り立ちます。

この日、クレネ人シモンが朝起きた時、ゴルゴタの丘へ向かう道で、イエスという人物がつけられる十字架を自分が背負うことになるとは夢にも思っていなかったでしょう。そして、ローマ兵に声をかけられた時は、「なんで自分が!」という貧乏くじを引いたような感覚しか持たなかっただろうと思います。

けれども、このただの「通りかかった」が、シモンと家族に、イエス・キリストの十字架による罪の赦しという祝福への招待となったのです。

今日は最後に私が先週読んだ一冊の本を簡単に紹介したいと思います。「十字架は丘の上に」という古い、短い本です。主には島根県の石見銀山の近くにあった沢谷村という村での出来事です。主人公は、小松須美という女性です。この方は沢谷村から割と近い広島県の布野(funo)村の出身の人です。

スミさんの人生には、自分で選んだのではない苦しみが次々と襲ってきました。貧しい家庭に育ち、15歳の時には性的被害を受け、その傷を抱えながら看護師になりました。結婚生活でも深く傷つけられ、一時は人を憎み、殺意さえ抱くほどでした。しかし、その苦しみの中でイエス・キリストの福音に出会い、少しずつ憎しみから解放されていきました。

B29の爆撃により神戸にいられなくない、精神異常者の夫と共に故郷の布野(funo)村に疎開することにしました。ところが、その途中で二つのことが起きます。一つは夫が途中で姿を消してしまったことです。それによって、彼女はこの夫から結果的に解放されることになりました。もう一つは、実家に送ったはずの荷物が届かず、沢谷村に所有者不明の荷物が届いているという情報が入ったので、沢谷村に行きました。そこで看護師を募集しているということを聞いて、スミさんは沢谷村に住みで看護師として働くことになりました。そこは、人口3,000人ほどの小さな村ですが、神社が3つ、浄土真宗のお寺が5つある、とても保守で教会がないどころか、クリスチャンは一人もいない村でした。1945年春にスミさんが住むようになってから、3年間一人で信仰を守りました。信仰のゆえに何回か引っ越しを強いられたりもしました。1948年に神戸から牧師を招いて8日間連続の集会を開き、その期間が終わったときには、村に27人のクリスチャンが生まれていました。そして、8年後の1953年には沢谷村に教会堂が、ほとんど信徒の人たちの手作業で完成したのです。
 しかし、スミさんは、その時にはすでに癌で体が蝕まれていました。献堂式には参列して一同に大きな感動を与える短い挨拶を残すことがやっとできました。入院のために布野村を離れていた間にも、スミさんはそこでキリストを証しして、大きな影響をあたえました。スミさんは献堂式の3か月後61歳の若さで御国に凱旋されていきました。

スミさんが負わされた苦しみそのものを、私たちは祝福と呼ぶことはできません。しかし、神様は、人から見ればただ不幸としか思えない人生さえ、そこで終わらせることなく、キリストの恵みと結びつけ、思いもよらない祝福への道として用いることがおできになるのです。

シモンもそうでした。朝起きた時には、十字架を担ぐ予定などありませんでした。スミさんも、沢谷村に教会を建てる計画など持っていませんでした。けれども、二人とも、自分の計画の外からやってきた出来事を通して、十字架の恵みに深く触れることになったのです。

私たちも、『なんで自分が』と思うような出来事に出会った時、そこで差し出されている主の招きを見過ごさない者でありたいと思います。

祈り

一言、お祈りいたします。

恵み深い天の父なる神様。あなたの聖名を心からほめたたえます。

今日は、イエス様が十字架につけられる直前にお受けになった、さまざまな嘲りと暴力、そしてクレネ人シモンが主の十字架を担がされた出来事から御言葉を学びました。

私たちが日々、自分の十字架を負ってあなたに従うと言っても、それはイエス様の十字架の苦しみの欠けを補うためではありません。

私たちの救いのために必要なことは、イエス様がすでに成し遂げてくださいました。

私たちは、イエス様の十字架によって罪赦され、すでに主に担われている者です。

どうしてこんなことが起こるのか分からない経験の中に置かれることがあります。

自分の失敗によって苦しむこともあります。

また、自分には理由の分からない苦しみを負わされることもあります。

私たちが負うものによって救われようとするのではなく、私たちのためにすべてを負ってくださったイエス様の十字架を、いよいよ深く知る者としてください。

思いがけない道を歩く時にも、そこであなたを求め、あなたの恵みを受け取る心を私たちに与えてください。

このお祈りを、主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。

アーメン。

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