2025-12-14 アドベント第三礼拝

  • 2025-12-14 喜多見チャペル 主日礼拝
  • 聖書箇所 ガラテヤ人への手紙4:4-5
  • 説教題 パウロ書簡から学ぶアドベント(2)「子としての身分を受けるため」
  • 説教者 山田誠路牧師

序 

A. 先週の振り返り

今日は今年のアドベント第三聖日です。来週の21日には、今年のクリスマス礼拝を迎えます。アドベントの期間の後半にやってきたという感じですね。先週は、ローマ人への手紙の冒頭から、イエス様が人となってこの世に生まれてきてくださったことによって、①神様が私たちをずっと見ていてくださったこと、そして②私たちのいと近くにきてくださったことをアドベントの恵みとして味わいました。

B. ガラテヤ人への手紙について

⒈ 概要

今日は、ガラテヤ人への手紙を開きます。「人が救われるのは律法を行うからではなく、イエス・キリストの十字架が自分の罪のためだったのだと信じる信仰による。」ということがこの手紙の趣旨です。ガラテヤにあった教会は、ローマの教会とは違って、第一回伝道旅行のときにパウロ自身が生み出した教会です。しかし、その後、パウロの教えに反する教えがこの教会の中に入ってきてしまいました。それは、ユダヤ主義と呼ばれるもので、「人は信仰だけでは救われない。ユダヤ人が神様から与えられた律法を守るという土台の上に、信仰を載せる必要がある。特に、守っているかどうかがはっきり形に現れる割礼について、これはイエス・キリストの十字架と復活のという神が歴史に介入して起きた出来事の後でも不可欠なのだ。」と主張する考え方でした。

パウロはこの手紙を書き送って、イエス・キリストの十字架と復活によって無代価で私たちすべての人に与えられた恵みを、なんとしても無駄にすることがないようにと力説します。

⒉ 二つのモチーフ

その中で、二つのモチーフを用いています。一つは、「律法の下から自由へ」という変化、もう一つは「奴隷状態から御子の身分へ」という変化です。この二つは同じことを言っているのです。「人が、一生懸命正しいことをして、この通りに生きることができれば、神様に正しいと認められて救われる。その基準が律法。」そういう考え方で生きている人をパウロは、「律法に閉じ込められている人」「律法の奴隷」だと言っております。

イエス様が人となられたのは、その閉じ込められている状態、奴隷状態から私たちを解放するためだったいうのです。

奴隷状態につながれていてかわいそうだから、自由にしてあげよう、それだけでも素晴らしい話です。しかし、更にもう一歩踏み込んで、イエス・キリストが人となったのは、それ以上の目的があるのだ、と言っているのがこのガラテヤ書です。それは、私たちに神の御子の身分を授けるためだ。」というのです。

ということで、今日は、イエス・キリストがこの世に来られたのは、

⒈ 律法の下から解放するため

⒉ 御子の身分を授けるため

この二つの目的のためだったのだ、ということをこれから学んでいきたいと思います。

Ⅰ. 律法の下から解放するため

それでは、最初のポイントである、私たちを「律法の下から解放するため」というポイントに入っていきます。今日は、この項目はまるまる少し長い実例を引いてきてお話ししようと思います。

⒈ よど号事件

今から54年前の1970年に日本中を震撼させた「よど号事件」というハイジャック事件が起こりました。9人の赤軍派メンバーが、3月31日7時20分羽田発福岡行きのJALの旅客機を乗っ取り、北朝鮮の平壌へ行くように要求しました。しかし、機長からこの飛行機は国内線であり、平壌まで飛べる燃料は積んでいない、と言われると、割とあっさりそれを受け入れ、一旦福岡に着陸します。

そこで、女性、子供、病人の23名を解放し、平城に向かいました。しかし、これはどうも韓国軍の作戦だったようですが、機長が誘導されて平城だと思って着陸したところは、ソウルの金浦空港でした。よど号は、結局金浦空港に足かけ4日間留まることになります。

その間、犯人側との交渉に当たって最終決定権を持つのは韓国側です。韓国側は、「人質を解放したら北朝鮮に行くことを認める」という姿勢を最後まで崩しません。日本側からはソウル駐在の日本大使に加え、橋本登美三郎運輸大臣、山村新次郎運輸政務次官もソウルに飛びました。ここからこの山村運輸政務次官が大きな役割を果たすことになります。

ソウルの金浦空港によど号がとどまっている間は、犯人側とは無線で説得工作が行われました。日本の中韓大使の説得が行き詰まったところで山村運輸政務次官がマイクを握ぎりました。

山村「おまえたちは若いがおれだってまだ若い。10歳と違わないんだから若い者同士で話さないか。」

犯人側「そんな浪花節が通用すると思っているのか。」

山村「よく考えてみろ。おれと話すのと80、90のおじいさん方と話すのと、どっちが気が合うと思うか。とにかくおれがこれから飛行機まで行くから、会って直接話し合おうじゃないか。」

犯人側「おれたちは政務次官なんて小物を相手にしない」

こうやってはじめは取りつく島もありませんでした。

そこで、なんとこの山村政務次官は、「自分が乗客の身代わりになって北朝鮮に行きます」と上司である橋本登美三郎運輸大臣に直訴したのです。

手詰まり状態に陥ってからしばらく交渉が途絶えていたところに、交信が再開されました。そこで、山村は自分の提案を犯人側にぶつけていました。「自分が乗客の身代わりになるので、重客は全員解放してくれ。おれが乗って、おまえたちと一緒に北朝鮮に行く。」と。

結局この提案を犯人側が受け入れることになります。最初に乗客半分が解放され、次に山村政務次官が乗り込み、最後に残り半分の乗客が解放されるという段取りで両者が合意して乗客の解放が開始されました。ところが、最初の半分の乗客が解放されたところで犯人側から待ったがかかり、30分の中断が入りました。そして、最終的には、犯人の一人が地上に降りる、次に山村が乗り込む、次に乗客一人を残して他の乗客が解放される、最後にその一人の乗客と地上の犯人が入れ替わる、という段取りで合意が成立し、その通り実行されました。

そして、よど号には、機長、副操縦士、航空機関士の3人のクルーと犯人9人、そして身代わりとなった山村新次郎運輸政務次官だけとなりドアが閉められ、北朝鮮に向かって離陸しました。

3月31日午前7時20分に羽田を立った時、よど号は122名の乗客を乗せていました。6時間後、福岡で子ども、女性、病人の23人が解放され、それから74時間後、無事に残りの乗客99人と客室乗務員(当時の呼称ではスチュワーデス)4人が解放されました。1970年4月3日のことでした。3月31日の7時20分に羽田を発ってから実に122時間後の解放でした。

この99人の乗客と4人のスチュワーデスが解放されたのは、山村新次郎運輸政務次官が自ら提案して、一人が身代わりに人質となり、平壌に連れて行かれるためでした。

ボーイング727の機内に閉じ込められて122時間。両手を縛られ、生きるか死ぬかは無謀な事件を起こした9人の赤軍派の成年たちに握られてしまいまいた。彼らをそこから解放したのは、山村新次郎運輸政務次官の英雄的な自己犠牲に基づく、身代わりの申し出だったのです。その束縛の中にいなくてよいはずの一人の人がそこに入って行って、人質としての役割を一人で引き受けて、99人全員を解放したのです。彼が囚われて、人質となるのであるならば、他のすべての人質は解放しても、同じだけの効果が得られると犯人側が計算するほどの犠牲を払ったのです。

⒉ イエス様は

イエス様は律法という縄目に縛られていた人たちを解放するために、自らが律法の呪いとなるために、私たちと同じ肉体を持つ人となられたのです。もう一言付け加えると、この律法の縄目というのは、決して自分では解けないものだったのです。もちろん、だれかが他の人の縄目を解いてあげることもできません。なぜなら、誰一人、自分の正しさのゆえに神から落ち度なく正しいと認められるほど正しい人はいないからです。昔「知恵の輪」というのがありました。あれはどんなに不可能なように見えても、ちゃんと外せるやり方があるわけなのですが、律法を守ることによって、正しい行いによって、神様に認められようとする道は、「解けるように見えて、実は解けないパズルに挑む」ようなものなのです。そして、聖書は、そのような私たちを「罪の奴隷」とも呼んでいます。イエス・キリストは私たちをそこから解放するために来てくださったのです。

Ⅱ. 御子の身分を授けるため

⒈ ただの解放ではない

次にもう一つの点に進んで行きたいと思います。それは、この解放には更なる目的があったということです。今まで話してきたよど号事件で解放された人々は、みな異常な囚われの状態から解放された後は、通常の生活に戻って行ったことでしょう。それ以上でもそれ以下でもありません。

しかし、イエス・キリストが私たちを律法の縄目から解放したのは、それ以上だったというのです。ただ、解放されたらそれでよいのではないのです。

①アメリカの奴隷解放

アメリカにおいて、南北戦争の結果、憲法修正第13条によって300万人の奴隷が一気に奴隷の身分から自由になりました。しかし、刑務所から出てきたばかりの出所者のように、無一文で厳しい社会に放りだされたのが現状です。

②日本の解放令

日本でも、明治4年に解放令が出されて、それまでの被差別階層が法的にはなくなりました。しかし、江戸時代は、普通の人が手を出さない職業が彼らに割り当てられていたので、差別はあったが経済的には成り立っていた。それが、明治以降、表面的自由は得たが社会的差別は相変わらずで、経済的基盤を失い困窮した、という実情がありました。

しかし、イエス・キリストによる私たちの解放は、そのようなものではありません。解放された先が素晴らしいのです。私たちは解放奴隷でも、新平民でもない。神の子としてくださる、というのです。

⒉ 子としての身分

しかも、5節には「子としての身分」、これは「神の子としての身分」ということですね。その「身分」を受けると書いてあります。これは、今二つ挙げた例でいうと、法的なものです。「もう奴隷ではない」「もう被差別階級ではない」ということを規定する法律に加えて、もっと積極的に、「あなたは今日から〇〇です」という新しい身分を積極的に規定しているのです。そしてその新しい身分が「神の子」だというのです。

①イエス様と同じ身分

それはわかりやすく言うと「イエス様と同じ身分」ということです。私たちがクリスマスを大好きな理由である、イエス様がたたえている平和、喜び、闇を照らす光、暗きに輝く希望、こういったイメージの実質が「神の子」ということです。それを「あなたも神の子どもなんだから」という理由で私たち一人ひとりが享受することができる、それが「子としての身分」です。

②相続の唯一の理由は子であること

今日読みました最後の7節には、「相続」ということばが出て来ますが、親の遺産を受け継ぐことができる唯一の理由は子である、ということです。どんなに出来の悪いことどもでも、どんなに親に心配かけてきた子供でも、どんなに親の面汚しとなる生涯を辿ってきた子供でも、子どもなら相続するのです。

逆に、親の鼻が高々となるような立派な子どもでも、たとえば、ノーベル賞をもらったとしても、大統領になったとしても、大谷のようなヒーローになったとしても、それが認められて親の財産を相続するのではないのです。相続はひとえに、子どもという身分に、あるいは関係にあるから、ということに尽きるのです。

イエス様は、私たちをそのような神様との関係に入れるために、私たちと同じ肉体をとって人となってくださったのです。

⒊ 『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊

更に、6節を見ますと、それだけではないことがわかります。神の子の身分をくださる、そのような関係に入れてくださる、だけでもありえないほど素晴らしいことですが、6節を読みますと、こう書いてあります。「そして、あなたがたは子であるので、神は、『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。」

「アバ」というのは、ヘブライ語で「父ちゃん」というような幼い子が自分の父親を親しみを込めて呼ぶ呼び方です。赤ちゃんが最初に口にする「アブアブ、アババー」という音から来ていると言われています。小さい子にとっては、親という存在は絶対的な存在です。外で問題があって家に帰ってきてお母さんのエプロンにしがみついて泣きはらすとき、お母さんのエプロンはその子にとっては全世界に匹敵します。お父さんの膝の上にちょこんと座っているときのお父さんの膝も、少し出っ張ったお腹も、子どもにとっては、世界の果てから果てまでと同じくらい広くて大きく感じるものです。そのような親しさを持って、安心をもって、喜びをもって神様に「アバ、父よ」と呼びかける霊を私たちが持つために、イエス・キリストは私たちを律法の縄目から解放してくださったのだ、というのが聖書の福音なのです。

そして、その解放を実行するために、それは、最終的にはイエス様が33年後に十字架の上で私たちの身代わりに死んでくださり、三日目に甦ってくださることによって実現します。クリスマスは、神様の壮大な解放作戦をこの地上で初めてくださった喜びの日なのです。

今日からアドベント第3週に入ります。次の日曜日がいよいよ、今年のクリスマス礼拝の日曜日となります。この一週間、私たちを囚われの身から解放するために、身代わりの人質としてご自身のからだを捧げるためにこの世に来てくださったイエス様の愛を味わう者とさせていただきましょう。

一言、お祈りいたします。

 恵み深い天の父なる神様。あなたの聖名を心からほめたたえます。今朝、このように、アドベント第3週の礼拝をともに守ることができまして感謝いたします。私たちを律法の下から解放し、子としての身分を与え、あなたをアバ父と呼ぶ御子の御霊を与えてくださったことを感謝いたします。あなたを親しく、「天のお父様」と呼びつつ、平安と喜びをもって、アドベントの最後の週を大切にたどる者としてください。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げ致します。アーメン。

タイトルとURLをコピーしました