- 2025-12-07 喜多見チャペル 主日礼拝
- 聖書箇所 ローマ人への手紙1:1-4
- 説教題 パウロ書簡から学ぶアドベント(1)「ダビデの子孫から生まれ」
- 説教者 山田誠路牧師
序
今日は今年のアドベント第二聖日です。先週は、山田美紀牧師によって、ルカの福音書1章から「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」というところを学びました。昨年のアドベントでは、「イザヤ書におけるメシア預言」というシリーズを4回組みました。それが旧約聖書だったので、今年は新約聖書から。そして、普段はずっとマルコの福音書を学んでおりますので、少しバランスを考えて、福音書以外のところからということで、今年は、パウロ書簡を選びました。今日を含めて、12月7日、14日、21日と残る三回の講壇は、「パウロ書簡に見る受肉」というテーマでご一緒にご言葉を学んでいきたいと願っております。今回がロマ書から、次回がガラテヤ書から、そして最後のクリスマス礼拝のときにはコリント人への手紙第二からお話ししたいと計画しております。
ローマ人への手紙について
⒈ ローマの教会はパウロが建てたのではない
さて、本題に入る前に一つだけ、ローマ人への手紙という書物の概要をお話ししておきたいと思います。新共同訳聖書では「ローマの信徒への手紙」と言いますが、要するに、ローマに存在していた教会に充てた手紙です。ただし、新約聖書に収められているパウロが書いた多くの手紙の中で、ローマ書は他にない特徴があります。それは、このローマにあった教会が、パウロの伝道による直接の実ではなかった、ということです。他の手紙はパウロの第一次、第二次伝道旅行でパウロが打ち立てた教会宛に書いたものでした。ですから、パウロは、自分の子どもに対して産みの親として、多分に教育的な見地から書いたということができます。
しかし、このローマ書は事情が違っていました。パウロがこの手紙を執筆した時点で、彼はまだローマに行ったことがなかったのです。1章の10節に「今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。」という言葉があります。このところから、パウロはかねてからローマの教会に尋ねていきたいと計画していたけれどもずっと実現できないでいたことがわかります。
⒉ 分かっていないこと
当時のローマにあった教会については、分かっていることと、分かっていないことがあります。まず、分かっていないことから申しますと、この教会の創立者です。聖書にも、他の文献にもはっきりしたことは書いてありません。歴史的には、ローマの教会はカトリックの総本山となっていき、その権威の大本は使徒ペテロに置きます。AD60以降、ペテロがローマに到着して指導的役割を果たしたということになっています。しかし、パウロがロマ書を書いた時点では、ペテロもまだローマに行ったことがなかったというのはほぼ確実です。キリスト教がユダヤのエルサレムから始まって、地中海世界に拡大していき、当時のローマ帝国の首都であるローマにまで何らかの方法で伝わり教会が出来ていたという状況でした。
⒊ 分かっていること
①パウロは事情に精通していた
分かっていることとしては、二つあります。一つ目は、パウロはローマの教会に属していて、その事情に精通していた人物から直接、このローマの教会のことを知ったということです。その人物とは、第二次伝道旅行のコリント伝道の際、プリスキラとアキラというユダヤ人夫妻と知り合いになります。そのことは、使徒の働き18章の最初のところに書かれています。この夫妻は、クラウディウス帝がローマからすべてのユダヤ人を追放したためにコリントに来ていた人たちでした。プリスキラとアキラは、天幕造りを職業としていて、たまたまパウロも同じ仕事を生業のためにしていたので、すっかり意気投合して、親しくなったのです。ですから、パウロはローマの教会に行ったことはなかったのですが、ローマの教会についての正確な情報を得ていたのです。
②一つの教会に二種類の信者
分かっていることの二つ目は、この教会には、ユダヤ人クリスチャンとギリシア人クリスチャンの二種類の系統のクリスチャンがいた、ということです。16章もあるロマ書の神髄ともいわれる聖句の一つは、1章16節にある「福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、すべて信じる人に救いをもたらす神の力です。」という言葉です。ここに「ユダヤ人とギリシア人」という表現が出て来ます。ローマ人への手紙という名前がついているにも関わらず、ローマ人ということばは一度も使われず、ユダヤ人と対比されるときのもう一方の人たちは必ずギリシア人と表現されているのは、なぜなんだろうかと不思議に思われないでしょうか。ロマ書における「ギリシア人」というのは、非ユダヤ人、すなわち異邦人の総称です。詳しいことは省略しますが、簡単に言ってしまえば、パウロが「ギリシア人」というときには、ローマ教会に属している非ユダヤ人信者のこと、すなわちローマ人信徒のことを意味しているのです。
⒋ ロマ書のキーワードは「福音」
そしてロマ書全体を概観すると、「福音」ということばが繰り返し出てきます。名詞形と動詞形を合わせると15回です。そして、このパウロの魂を込めて書いた主著であるロマ書の肝は、先ほども紹介しました通り1章16節の「福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、すべて信じる人に救いをもたらす神の力です。」という一文に集約されます。
世界の真っ中心、世界最大の都市であるローマにある教会には、ユダヤ教の背景を持つクリスチャンたちと、異邦人クリスチャンたちで構成されていて、この二つのグループの間に微妙な関係があったようです。
そこにパウロは懇親の力を込めて、「一つの福音」「唯一の福音」「普遍性を持った福音」をどうしても知らせたいと思って、この手紙を書いたのです。
Ⅰ ロマ書冒頭のあいさつ
A. 冒頭の形式
それでは、本文に入っていきたいと思います。今日は、ロマ書の冒頭1章1節から少し長めに7節まで読みました。実は、この部分は、原語では、手紙全体の形式的な部分で、差し代人と宛先とあいさつが名詞句として列記されているだけです。「パウロ」、「ローマにいる聖徒」(聖徒というのは、特別な人を指す言葉ではなく信徒一般をさす言葉です。)、「恵みと平安」ということばが本当に単に列記されているのです。日本語で補われている「パウロから」の「から」も、「聖徒たちへ」の「へ」も、「恵みと平安がありますように」の「ありますように」も実は本当はないのです。「パウロ」「ローマの聖徒たち」「恵みと平安」と列記されているだけなのです。そして、それが、当時の手紙を書き始める形式だったのです。
B. 差し代人パウロの説明
しかし、差出人である「パウロ」という名詞を修飾する部分が、長く長く6節の終わりまで続いているのです。その部分を掻い摘んで解説すると次のようになります。
まず第一段階として、福音のために使徒として召された、次にこの福音とは御子に関するもの、そして、次に、その御子とはという部分が6節の終わりまで続きます。ですから、パウロは自分のことを「御子に関する福音の使徒」であると自己紹介しているのです。
このパウロの冒頭の自己紹介にすでにロマ書全体のキーワードである「福音」が出て来ます。そして、そのキーワードである「福音」の更に「エッセンス」が「御子に関するもの」ということをここで言っているのです。
ここまで読んでくると、私たちは地中深くに埋蔵されている金鉱を掘り当てたような気がいたします。パウロという名前の土地を掘り始め、次に、使徒という地層を突き抜け、過ぎに出てきた福音という地層をも突き抜け、とうとう「御子」という金塊につるはしかドリルの先が到達したという感じです。
C. 御子について
しかし、ここからが問題です。パウロはその福音のエッセンスである御子をどのように提示しているでしょうか。表現から拾い上げると4つの要素がここで言われていると思います。一つ目が3節の「肉によれば」です。二つ目が4節の「聖なる霊によれば」です。三つめが5節前半の「この方によって使徒の務めを受け。」最後四つ目が5節後半の「御名のために異邦人に信仰の従順をもたらす」となります。
そして、この重厚な御子に関する記述の筆頭に来ているのが、今日の説教題にもなっている「御子は肉によればダビデの子孫として生まれ」というところです。
Ⅱ ダビデの子孫として生まれ
以降は、本日は「御子は肉によればダビデの子孫として生まれ」の部分だけを取り上げてみたいと思います。今日はここから二つのことをアドベントのメッセージとして受け取りたいと思います。
A. 神はずっと見ておられた
一つ目は、神様は私たちのことをずっと関心を持ってみていてくださった、ということです。クリスマスというと、私たちは、12月24日とか25日とか、特別な一日のことと思いがちです。その日に大きなことが起こったという記念日として認識しているでしょう。しかし、よく考えてみると、この日が特別に喜びの日である理由は、この日にあるというよりも、預言者を通して人類に伝えて、見守って来られた神様の長い長い「ずうっと」の愛にあるのです。もし仮に、人類に対するなんの予告も預言もなく、御子が人となってある日突然やってきたなら、私たちにはそのことを認識することができないでしょう。それが本当のことなんだか、証明のしようもないでしょう。
神様が、突然思い立ってこの世に来られたとするならば、その突然湧いてきた思いがどんなに強く激しいものであったとしても、急ごしらえの感を否むことができません。そして、その愛に安心してより頼むことも難しいです。
しかし、もし、御子が人となったという歴史上一回しか起こらない特別なことであっても、長い間預言されてきたことであるなら、事情がまるっきり違ってきます。私たちは、そこに、神様の真実の愛を、信頼できる愛を感じることができます。
B. 神は近くに来られた
⒈ 無限と有限
二つ目は、神様が私たちの近くに来られたということです。「遠い親戚より近くの他人」ということわざがありますが、基本的に助けというのは、近くにいるということと深く結びついています。“スープの冷めない距離”のような物理的な近さもあります。なんでも頼める心的な近さをあります。クリスマスでいう近さは、存在の近さです。神は時間・空間を超越した永遠の生命者です。それゆえ神の本質としては霊であり肉体を取らないのです。もし、肉体を持ってしまうと時間・空間の制限の中にある存在となります。クリスマスの日に、神の御子が私たち人間と同じ肉体をもって生まれてくださったということは、とてつもないことです。それは、無限者が有限の世界に入って来られたということです。
⒉ 野球の例話 ―王はラーメン屋のせがれ―
久しぶりに野球の話を一つしたいと思います。私がこよなく愛する世界のホームラン王、王貞治のことです。王は、1980年に現役を引退してから、すぐその後3年間、巨人軍で助監督というあまり聞いたことのない役職につきます。たぶん、長嶋が現役引退後すぐ巨人に監督になってけれども、あまりうまくいかなかったことの反省から、王は、指導者としての経験をある程度積ませてから監督にという思惑があったのではないかと思います。助監督を3年務めたあと、晴れて巨人の監督となり5年間采配を振るいました。一回だけリーグ優勝は果たしましたが、一度も日本一にはなれないまま解任されてしまします。その後解説者などを6年間やって、1995年に当時の福岡ダイエー・ホークスの監督となりました。その時点でダイエー・ホークスという球団は11年連続のBクラス、そのうち最下位が2回という九回一の弱小球団でした。王が監督になっても、「負けるのが当たり前」のようなチームの雰囲気は簡単には変わりませんでした。「王、頼むから監督ヤメテくれ」という横断幕を広げられたり、球場を去るバスにいくつもの生卵をぶつけられたりと、世界の王も苦しみました。
しかし、ある時転機がやってきました。根本陸男という王をダイエーに引き込んだ球界の寝業師と呼ばれる人物がいます。根本はその時、球団社長という立場でしたが、王監督と選手の間に距離があるのを感じて、ある時選手たちを集めてこう言ったのです。
「おまえら、王は神様みてぇな人だと思ってねえか。だけど、そうじゃねぇんだ。王もおまえらと何にも変わらねえ、ただのラーメン屋のせがれだったんだ。」
今やダイエー・ホークスを引き継いだソフトバンク・ホークスは球界最強のチームとなりました。2009年以降の日本シリーズ優勝回数では、王会長率いるソフトバンクが7回で断トツトップです。二位が巨人の3回です。ここまで盤石な球団となっていく出発点は、あの根本陸男の「ラーメン屋のせがれ」ミーティングだったのです。
王貞治自身はこのように言っています。自分は巨人の監督時代の口癖は「お前らは何でやらないんだ!」だった。「選手として活躍できる期間は限られている、今打ち込んで練習すれば長く活躍できる。やるべきことはわかっている。やれ。なんでならないんだ。」
しかし、言われている側の選手は、「それが出来ればみんな王貞治になっています。」「わたしら並みの選手はそこまでできないから並みなんです。」と。
プロ野球選手になる時点で全国の野球少年の頂点を極めた人たち、しかも栄光の巨人軍で一軍を張っている選手だちです。その彼らが自分たちは波の選手で「あなたと同じようにやれと言われて出来るなら皆王貞治になっています。それができないから我々は868本もホームラン打てないんです。わかってないんですか。」
これが巨人時代と王監督と巨人軍選手との関係だったそうです。しかし、王貞治もいろいろ苦闘して、都落ちして日本一の弱小球団の監督となり、そこでもチームが強くならないどん底をなめていく中で、やっとただの人となることができたのです。そしてその時からチームは勝ち始めたのです。王は語ります。俺が「世界の王」だったのはバットを持っていたと気なんだ。世界の王でもなんでもない。けれでも「世界の王」の「世界の」が選手の心から払拭されるまでに20年かかったのです。
「世界の王」が「ただの王」になるきっかけは根本陸男の「あいつはラーメン屋のせがれだったんだ」の一言でした。
「世界の王の王」である御子イエス・キリストはベルレヘムの家畜小屋で大工のせがれとしてお生まれになりました。
⒊ イエス様は大工のせがれ
野球の話が長くなりましたが、最後に少しだけ聖書に戻って締めくくりたいと思います。「ダビデの子孫として生まれ」という言い方には、確実に「王」としてのダビデが意識されています。そして、その子孫として生まれる御子も「真の王」という存在になる、という意味が込められています。しかし、良く考えてみると王としてのダビデに一番ゆかりのある地はエルサレムです。40年間の在位中33年間をダビデはエルサレムで過ごしました。最初の7年間は、ヘブロンというところにいました。ベツレヘムで王であったことはありません。
ダビデにとってのベツレヘムは生まれたからしばらく幼少期を過ごした場所です。その時代のダビデは、8人兄弟の末っ子として生まれ、お父さんであるエッサイが預言者サムエルからあなたの息子を私の前に連れて来なさい、と言われたときもダビデだけ声を掛けられず、野原で羊を飼っていたのです。モノの数に入っていない少年でした。
ベツレヘムに生まれたダビデの子孫イエス様は、モノの数に入らない人、大工のせがれとなって、私たちのところに来てくださったのです。私たちのいと近い存在になってくださったのです。私たちを罪から救うために、十字架にかかる前に、まず、いと近い存在に、同じ弱さをまとって肉体をとって、私たちの友となってくださったのです。これがクリスマスの第一の恵みです。
一言、お祈りいたします。
恵み深い天の父なる神様。あなたの聖名を心からほめたたえます。今朝は、神様が私たちのことをずっと見ていてくださった恵み、そしていと近くに来てくださった恵みを受け取らせていただきました。今日からアドベント第2週の歩みに踏み入ります。インフルエンザも大流行しているようですが、私たちの健康を支え、神様の恵みをいつも思いながら過ごせますようにお守りください。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げ致します。アーメン。