2025年6月8日の説教動画と説教原稿をアップしました

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  • 2025-06-08 喜多見チャペル 主日礼拝
  • 聖書箇所 ピリピ人への手紙1:12-21
  • 説教題 「それが何だというのでしょう」
  • 説教者 山田誠路牧師

導入 -今年のペンテコステ―

今日は、全世界の教会が、キリスト教の3大祝祭の一つペンテコステを記念する日です。喜多見チャペルとしては、準備の一年を含めて私が語る3度目のペンテコステのメッセージとなります。一昨年は、使徒の働き2章のペンテコステの記事そのものから、「ペンテコステが変えたもの」という説教題で、①神様と自分との距離、②他人と自分との距離、③自分と自分との距離が変わったのだ、というお話をしました。

昨年はパウロにとってのペンテコステという視点から、「聖霊の宮」という説教題で、主に、ペンテコステの聖霊降臨の重要性は、炎とか他の国の言葉で話すとかいう、一回限りの力の面にあるのではなく、私たちの内に住まわれるという息の長いかかわりを持つ面、強さの反対の弱さのなかにこそ働かれる面を取り上げました。

さて、3度目である今年の説教のために準備をしておりますときに一つの思いが与えられました。私たちのこの開拓してまだ、ほとんど人が集まらない状態の喜多見チャペルにとってもペンテコステの意味を探りたいと思ったのです。そこで、与えられたのが、パウロの第二回伝道旅行におけるピリピ伝道とピリピ書の内容でした。

Ⅰ. ピリピ伝道から

1. ピリピに入るまで

①第一回伝道旅行の行程

そこで、本日は、パウロの第二回伝道旅行とその中でのピリピ伝道についてまず、簡単に触れておきたいと思います。使徒の働きの15章39節からパウロの第二回伝道旅行の記事が始まります。第一回伝道旅行の結果、誕生した教会を励ましに行くのが一つの大きな目的でした。一回目は小アジア半島、今のトルコのだいたい真ん中あたりに地中海から上陸して、陸路東に向かい、そのまま行くとパウロの故郷タルソにもうすぐ到着するルートでしたが、手前のデルベというところで引き返して、上陸したところまで戻り船に乗って、アンティオケアにもどりました。

②第二回伝道旅行の行程

二回目の伝道旅行はアンティオケアを出発して陸路で西に進みました。パウロの頭には、そのまま小アジア半島を西に進み、アジア州の中心地であるエペソに行きたいという思いがあったようです。しかし、「イエスの御霊がそれを許されなかった」という表現がされていますが、聖霊がどうしても他の方面にパウロたちを導いておられるように感じて、彼らは北西の方向に進み、とうとうアジアの西の果て、エーゲ海に面し、ギリシャ世界がもう目の前に広がるトロアスまで来ました。ホメロスに出てくるトロイ戦争のトロイから南へ20kmほど下った所です。

③マケドニアの叫び

このトロアスでパウロたちは、有名なマケドニアの叫びというものを聞きました。それは、一人のマケドニア人が「マケドニアに渡ってきて私たちを助けてください」と懇願しているという幻でした。マケドニアは、アレキサンダー大王のお父さんが治めていた国で、ギリシャの一つの中核を占める地域です。

④ギリシャ世界に踏み入る

その幻を見たパウロは、それまでの不思議な導きに合点がいき、自分たちはギリシャ世界に出かけて行って福音を宣べ伝える使命を託されているのだと悟ります。それで、ギリシャ世界、もう少し、大げさに言うと、ヨーロッパの世界に初めて、パウロたちは足を踏み入れたのです。そして、実質上、ギリシャで初めて腰を落ち着けた町がピリピでした。

⒉ ピリピにて

①ピリピでの最初の安息日

パウロの伝道方法は、新しい街に入っていくと安息日にユダヤ教の会堂に行き、そこでユダヤ人たちに語りかけるところから始めていくというパターンを踏んでいました。しかし、このピリピという町には会堂がありませんでした。当時、シナゴーグを立てて正式な礼拝を行なうには、ユダヤ人の成人男性10人以上が集まっている必要があったとされています。ですから、ピリピの町にはそれほどのユダヤ人すら住んでいなかったのでしょう。

パウロは、会堂がないならば、女性たちが川岸に集まって安息日の朝に祈り会をしているだろう、との予測に基づいて、最初の安息日に川岸に降りて行ったら、ユダヤ人の女性たちが集まっていたのです。パウロは、それらの女の人たちに声をかけて、福音を語り始めました。

②ルディアの心が開かれる

すると、パウロの話を聞いていた女性たちの中の一人、ルディアという女性が心を開いたのです。そして、彼女のみならず、彼女の家族の者たちが、パウロからバプテスマを受けることになったのです。なんの変哲もない、小さな出来事のように思いますが、このことは今日まで2,000年以上を歴史を持つキリスト教のその後の発展に、計り知れない重大な影響を与えています。

現在全世界の約三分の一、26億人ほどがキリスト教徒だと統計上は言われております。そして、ここまでキリスト教を世界宗教にしたのは、西欧人です。しかし、キリスト教はもともとヨーロッパで誕生した宗教ではありませんでした。エルサレムという中東で、非ヨーロッパ系のユダヤ人の中に生まれた宗教です。しかし、今日、ご一緒に読んでいる、この使徒の働き16章14節にある、一人のルディアという女性の心が開かれたことが、福音がアジアを超えて、ギリシャに、ヨーロッパに、そしてヨーロッパ人を通じて全世界に広がっていく偉大な第一歩となったのです。立派な会堂が建てられることに勝って、一人の人の心が福音に対して開かれることこそが、真のスタートアップとなったのです。

③ピリピでの投獄

さて、特別な聖霊の導きによって、思ってもみなかったギリシャの世界に足を踏み入れて、最初の町のピリピでは、会堂がない町という新しいパターンでも、川岸の祈り場で伝道をしてそれ功を奏したという順調な滑り出しを見せたかに思えました。ところが、パウロのピリピ伝道は、これでハッピー・エンド終わることはありませんでした。20節から、状況が急転直下します。別の日にやはり、あの川岸の祈り場に行く途中で起きた事件がきっかけでパウロたちは反対派に捉えられて、何度も鞭で打たれ、監獄にぶち込まれ、足枷をはめられてしまったのです。鞭で受けた傷、当時の監獄の衛生状態を考えると、パウロはこの監獄の中で命を落とす危険性が十分過ぎるほどあったと言えるでしょう。

Ⅱ ピリピ書から

1. ピリピ伝道とピリピ書執筆

長くなりましたが、これが使徒の働き16章に書かれているパウロの第二回伝道旅行におけるピリピ伝道の概要です。さて、このようにしてパウロが切り開いたピリピの町にやがてキリスト信者の群れができていきます。パウロがピリピに初めて足を踏み入れたのはだいたいAD50年ごろと考えられます。そして、パウロがピリピの町にいる信徒たちの群れ宛にピリピ書を書いた年代と場所については諸説あります。ピリピ書は、パウロが投獄中に書いた手紙であることは、この書簡の数か所から明らかです。パウロは、いろいろなところで投獄された経験がありますが、伝統的に有力な説に従ってローマでの投獄中だとすると、パウロの晩年AD60年代初めということになります。ピリピで投獄された時から、ローマでの投獄中にピリピの教会宛にこの手紙を書くまで、12年前後の月日が経過したことになります。

2. ピリピ書1章の内容

さて、それではこれからピリピ書の内容に入っていきたいと思います。今日はペンテコステ礼拝ですから、本日のテキストの中から、パウロの中で聖霊はどのような働きをしているかという視点でこのところを読んでいきたいと思います。

この手紙はパウロが生涯の中で何も経験した投獄中という状況の中で書かれています。10数年前にピリピの町で投獄されたときと、その10数年後ローマの獄中でピリピ書を執筆しているときとで一つ変化したことがあります。それは、パウロ以外の人の活動です。ピリピで捉えられて時には、パウロが捉えられて活動を留められたら、獄の外でキリストを宣べ伝える人は他に誰もいませんでした。パウロは当時の地中海世界を股にかけて広く福音を伝える宣教師のパイオニアでした。

しかし、今、パウロの晩年に差し掛かり、一部にはパウロ自身の宣教活動が多くの実を結んだがゆえに、キリストを宣べ伝える人がパウロ以外にも多くいる時代となっていました。しかし、その中には、福音の理解についてパウロと一致しないグループもいたのです。ピリピ書に書かれている内容からだけでは、その違いが、どのレベルのものであったのかは詳しくはわかりません。

しかし、パウロは、このように自分は牢屋につながれ、活動ができないでいる間に、自分と考えの違うグループが、ここぞとばかりに精力的に活動して、彼らがよいと思われる方法でキリストを延べ伝えている状況を、喜んでいると大胆に書いているのです。そんなことがあり得るのでしょうか。これはいったいどういうことでしょうか。今日はこの一点に注目して、ここから三つのことを学んでいきたいと思います。

①普通喜べないことまで喜ぶ心

繰り返しになりますが、自分は投獄されて活動が制限されているパウロにとって、パウロに対する党派心からキリストが宣べ伝えられているというのは、普通に考えるとこれほど嫌なこと、これほど喜べないことはないのではないでしょうか。

私なら、自分が投獄されている最中に全然自分とは関係のない領域の人が活躍しているのならば気にもなりませんが、同じキリストを延べ伝えている人の中の、反パウロ派が、パウロが捕まっている間に、「今が勢力拡大のチャンスだー!集中して、必死でやれー!」などとキャンペーンを張っていたら、これほど悔しくて地団駄踏むことはないと思います。

ところが、18節をごらんください。「しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶことでしょう。」と言っています。

また、野球の話をちょっとだけさせてください。巨人に江川卓というエースがいた時代、チーム内での江川のライバルは西本でした。年齢は江川が一つ上、プロ入りは西本の方が5年も早いのですが、江川入団後は、お互い強いライバル意識を持っていました。西本の方は、あるインタビュー番組で正直に言っています。同じ巨人というチームに属していて、優勝を目指してそのためにプロとして野球をやっている。それはそうなんだけれども、江川が先発したゲームでは江川打たれろ、江川負けろ、というのが正直な心の叫びだったというのです。江川の試合は負けて自分が投げる試合で勝つ、それこそが西本のプライドが一番喜ぶパターンだったのです。

ライバルの活躍を心から喜ぶというのは、難しいことなのです。そして、普通、何を喜ぶか、言い方を変えると、自分にとって嬉しいことと嬉しくないことは、感情面のことですから、反射的な反応であって、コントロールすることは難しいはずです。しかし、パウロは本来、喜べないはずのものを喜ぶ人へと変えられているのです。これを可能にするのがペンテコステの力です。

②自分の何かではなく、聖霊のお働き

次に、それがなぜ可能になるのかということをもう少し考えていきたいと思います。そもそももし、パウロが、キリスト教の宣教を通して、それに自分がどれほど貢献したかに一番関心を寄せている人物であったならば、到底、この状況を喜ぶことはできなかっただろうと思います。

もう一度17節からのところを見ていただきたいと思います。「17ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。18しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。」

今回、私はこの「それが何だというのでしょう」というパウロの言葉がとても心にひっかかりました。よく考えてみると、実はパウロも感情レベルでは、やはり自分が捉えられているときに、自分を苦しめようと純粋でない動機、見せかけでキリストが伝えられている実情に不満や、憤り、焦り、焦燥感などを感じなくはなかったのでしょう。しかし、「それが何なのでしょう」と自らその当然起きてくる感情を振り払うように、意志を働かせて自分の働きを自分に属するものから、キリストに属する者へと昇華させてのではないでしょうか。

キング牧師は、以下のような言葉を残しています。「神よ、私を用いてください。私が何者で、何になりたくて、何ができるのかを、私自身を超えた目的のために用いる方法を教えてください。」これを可能とするのがペンテコステの力なのです。ペンテコステの恵みは、自分の生涯を自己実現以上のレベルで生きることを可能とするのです。

③生きるか死ぬかを超えた次元で生きる

 次に、ペンテコステの力は、自己実現のレベルを超えるだけでなく、更に、生きるか死ぬかを超えた次元で生きる生に私たちを導きます。

20節、21節をご覧ください。「20私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。21私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」この言葉は、聖書に収められているたくさんのパウロの言葉のなかでも、もっとも深いところを言い表しているものだと私は考えます。

ひとつ前のポイントでは、自己実現を超えた、私の身によってキリストがあがめられるために生きる、ということを申し上げましたが。パウロは更にその先を行きます。彼は、「私たちは生きる必要さえない」と言っています。パウロ個人としては、この世から取られて、すなわち死んで永遠の生命にキリストとともにいるほうがよっぽど望ましい。しかし、もし、自分がこの地上に生きて、実を結ぶならあなたがたのためにそうしましょう、と言っています。

ここには、もはや生への執着すらありません。生きるか死ぬかが問題ではない。「生きるにしても死ぬにしても」そのどちらに転ぶかが決定要因ではない。それを超えて、「私の身によってキリストがあがめられること」これがパウロにとってのすべてだったのです。

今日のテキストの最後の節21節をご覧ください。「私にとっては生きることはキリスト、死ぬことは益です。」とあります。前半は、今日学んできた内容で置き換えるならば、「私は自己実現のために生きているのではなく、キリストが私の身においてあがめられるために生きている」という告白となるでしょう。

それでは、「死ぬことは益です。」はどう受け取ればよいのでしょう。これは、自殺願望でも、生きる意味を否定するニヒリズムでもありません。今日はテキストに含めませんでしたが、23節にはこうあります。「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。」これは、なかなか衝撃的な発言です。パウロにとって、死ぬか生きるかが問題となっていなかったのは、生死によって変わらない一つの事実を確信していたからです。それは、キリストが共にいてくださるという事実です。それは、この地上にいる間もそうですが、この地上を去ったあとも、ますますそうなのだという確信です。

パウロがなぜ、生死を分かたずキリストが共にいてくださるという確信を持てたのでしょうか。それは、彼が、キリスト教は迫害者だったときに、自分を滅ぼさずに赦し受け入れ、使命を与えてくださった、というのがパウロとキリストとの出会いの原点だったからです。何かをしたから受け入れられるのではなく、真っ向からキリストの教会をつぶしにかかっていた自分を赦す大きな愛を確信していたからです。ペンテコステの力は、そこに現れるのです。キリストはいつも共にいてくださることを確信させるキリストの愛を受け取るように導く力、それこそがペンテコステの力なのです。

一言、お祈りいたします。

 恵み深い天の父なる神様。あなたの聖名を心からほめたたえます。今朝は、年に一度の大切なペンテコステの礼拝でした。パウロのピリピ伝道とピリピ書の内容から、ペンテコステの意義について教えられました。私たちも、どうぞ自分の感情に振り回されながら自己実現を目的とする生き方から引き上げらることができますように。喜べないことを喜び、キリストがあがめられるための生き方をできますように。そして、キリストの愛を確信し、キリストがいつも共にいてくださる、死をこえても共にいてくださることを確信して歩むことができますようにお導きください。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げ致します。アーメン。